聖書のことば|10月

“求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。 たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも求める者は受け、探す者は 見出し、たたく者には開かれます。” (マタイの福音書7:7〜8)

“Ask and it will be given to you;seek and you will find;knock and the door will be opened to you.For everyone who asks receives;he who seeks finds;and to him who knocks,the door will be opened.”(Matthew 7:7~8)


大津集会では、疲れた方、重荷を負っておられる方、真理を求めておられる方が、 集会(教会)のドアをノックされることを心から歓迎いたします。

特別企画|朽ちない希望と至福の喜び

特別企画|202510 朽ちない希望と至福の喜び

聖書特別メッセージ

特別企画|絶望のとなりに希望がある

日時:2025年10月19日(日) 14:00〜15:00
場所:大津キリスト集会
入場無料:どなたでもお越しください。

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お知らせ

当集会では聖書からわかりすくお話をしております。初めての方も大歓迎です。また消毒, 換気、social distance を取るなどの感染症対策を行っていますので、安心してお越しください。ただし、マスク着用に関しては、参加される方も当集会のクリスチャンも自由になっています。

読書会のご案内

●古賀敬太著『28名の著名人と聖書』(伝道出版社) 
●講師:古賀敬太    ※読書会は終了しました。

これまでの研究会の内容は、下記の動画から御覧下さい。

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新・聖書入門講座のご案内

聖書をわかりやすく読むために、新聖書入門講座を設けました。今回の講座は、集会所に集まって対面で行うものではなく、大津キリスト集会のHP にアップされる動画を見て、視聴者のかたがたが聖書に親しむ方式です。

現在まで
  ●マタイの福音書NO.1〜NO.30
  ●ヨハネの福音書NO.1~NO.24
  ●ルカの福音書NO.1~NO.48 の動画を入れています。

全部で合計102の動画が収載されています。以下のアドレスをクリックして、ご覧ください。

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なおご質問、ご感想があれば遠慮なくBible.otsu02@gmail.com までメール頂ければ幸いです。

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「聖書入門―キーワードで読む聖書」

第三十六回 いのち(ϛωή、life,ゾーエ)
ゾーエは、生けるもの、いのちの原動力を示しています。動詞形はゼーン、生き物はゾーオンです。このことばは新約聖書中135回使用されています。

[続きはこちらをご覧ください。] 


第三十五回 インマヌエル(Emmanuel,’Eμμανουήλ)
「インマヌエル」は、ヘブル語で、インマル=私たちと一緒にと、エル(神)から構成されていて、メシア=キリストの称号です。

[続きはこちらをご覧ください。] 


第一回〜過去の記事を読む 

新刊紹介

『28名の著名人と聖書-聖書の扉を開く』古賀敬太

これまで多くの著名人が、聖書の影響を受けてきました。この書物は、できるだけ多くの人に、聖書が彼らの生涯や著作に及ぼした影響を知ってもらいたいと思い、執筆しました。彼らの中にはクリスチャンもクリスチャンでない人も含まれていますが、人間のエゴイズムや死、生きる意味、神の存在など、人生の根本問題と格闘しつつ、聖書に触れた人々です。
著者:古賀敬太
価格:1,320円(税込)
ISBN978-4-901415-41-5
発売:伝道出版社

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聖書メッセージ88

聖書メッセージ88 「魂の名医イエス・キリスト」

今日は魂の医者であるイエス・キリストについて考えたいと思います。イエス様は、当時の宗教的指導者で自分たちは正しいと自負していた律法学者やパリサイ人に対して、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく、病人です。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさるためです。」(ルカの福音書5:31〜32)と語られました。
魂の医者であるイエス様のところに行って、魂の病気を直してもらうためには、どうしたらいいでしょうか。三点考えたいと思います。

「自分が罪人であることを知ること」

第一点は、まず自分が病気であることを知ることです。私たちは、自分の身体について病気であって、健康ではないと自覚しないとなかなか医者の所に行こうとしません。私も警察と医者は、できるだけ遠ざけてきました。しかし10年前、歩くと胸がいたくなり、500メートルほど歩くともう歩けなくなり、しばらく立ち止まり、そしてまた歩き出すことが続き、それがひどくなるという状況でした。そこで家内からも説得されて、意を決してはじめて病院の門をたたきました。
魂の病気の場合も同じです。自分は立派だ、偉い、悪くないと自負していれば、魂の医者であるイエス様の所へ行こうとしません。魂の医者は必要無いのです。

「名医の第一の条件ー正しい診断」

 二番目に大事なことは、医者が正しい診断と治療をすることです。それが名医の条件です。
まず診断です。私は、病院を選択する際に、以前気管支が悪かったので、呼吸器専門の病院に行きました。肺に原因があるのではと思っていましたが、レントゲンをとっても、肺活量の検査をしても異常はありませんでした。薬としては、気管支拡張剤を出されただけです。その時、心電図もとりましたが異常はなかったので、医者もどうしていいかわからないという状態でした。肺気腫の可能性も疑いましたが、煙草を吸わないので、それも違うのではと思いました。
正しい診断がなされなければ、治療もできません。それでしばらく、病院にいきませんでしたが、どんどん病気は悪化していきます。その後家内がドクターGというテレビをみて、労作性狭心症ではないかと思ったようで、循環器の病院に行くように勧めてくれました。その前に人間ドッグに行き検査をしてもらいましたが、担当の医師は、労作性狭心症なので、ほっておくと心筋梗塞を起こすので、すぐに循環器専門の病院に行きなさいというアドヴァイスを受けました。そこで、近くの循環器の病院に行きますと、やはり典型的な労作性狭心症ですという診断でした。そこの病院では、より精密な検査、それに基ずく手術ができないので、heart centerに行って、造影剤をいれたCT検査、そしてカテーテルをいれた検査をしてもらいました。担当医師はよく心筋梗塞にならなかったね、数日遅れていたら危ないところだったと言われました。
  病名が特定できて、治療ができます。名医の条件は、正しい診察を行うことができることです。間違った診断をすれば、死に対する病になります。
魂の医者であるイエス様は、人間の心の状態のすべてを知っておられる方です。イエス様は外見をよく見せたがるパリサイ人に対して、内側は罪に満ちていると診断されました。
「イエスはまた言われた。人から出てくるもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出てきます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」(マルコの福音書7:20〜23)
たとえ厳しい診断であっても、それは愛のゆえであり、愛するがゆえに、また回復の道があるがゆえに、イエス様は私たちの心の状態をありのまま指摘されるのです。

「名医の第二の条件ー適切な治療」

名医の第二の条件は正しい診断のみならず、適切な治療、手術ができることです。
私の良く知っている女性は、膵臓癌でしたが、どこで手術したらいいのか迷っておられましたが、膵臓癌の名医の存在を知り、転院して、そこで手術を受けられ、現在もう10年以上経過しましたが、元気に過ごしておられます。手術を受けられる時はステージ3でした。
魂の医者であるイエス様は、私たちの罪を取り扱うためにどのような治療をされたでしょうか。聖書は、罪に対しては必ず神の裁きがあることを明言しています。人は神の審判の前に立って、自分の生涯の行為について弁明しなければなりません。一般に言われている「説明責任」(accountability)はここから来ています。その際、神の前に罪が赦されているかどうかが審判の基準になります。
しかし残念ながら、自分の累積された罪を自分で消し去ることはできません。そうしようとすればするほど、罪の泥沼に沈んでしまいます。これは本当に不思議なことですが、罪のないイエス・キリストが私たちの罪を負い、身代わりとして十字架で神の裁きを受けられ、イエスを救い主として信じるものに、罪の赦しの道を開かれました。イエス様がなされた回復の道は、私たちの身体にメスを入れることではなく、ご自身を犠牲にされる道でした。私たちは、イエス・キリストが救い主であることを信じて罪赦され、神の審判の前に立っても、義とせられ、天国へ凱旋することができます。

「私たちの責任ー名医の診断、治療を受け入れること」

最後に、第三番目に重要なことは、名医がが下した診断、そして手術を受け入れることです。手術をうけなければ、病気は治りません。手術はいやですね。
 私の場合には、心臓から出ている3本の冠動脈の血管が、心臓を動かしているのですが、そのうちの一本の血管が90%詰まっていて、狭窄を起こし、もう一本は50%詰まっており、大変危険ということでした。手術には二通りの方法があり、心臓のバイパス手術か、カテーテルで狭窄をおこしているところに金属片のステントを入れて、血液の流れをよくすることでした。私の場合は、後者の手術で、時々呼吸が苦しくなり、3時間ほどかかりましたが、おかげで、胸がいたくて歩けないことはなくなりました。正しい診断がなされても、患者がそれを受け入て、手術を受けなければ病気はなおりません。
魂の病気の場合も同様です。それではこの場合手術とは一体何でしょうか。それは痛みを伴うものです。冒頭の聖句にあるように、悔い改めること(メタノイア)です。悔い改めとは一体何をすることでしょうか。ギリシャ語で悔い改めは、「方向転換」を意味しています。それは、第一に、自分の罪を告白することです。自分の罪を告白した事例として、聖書の中に取税人の祈りが記されています。

「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向け用ともせず、自分の胸をたたいていった。神様、わたしをあわれんで下さい。」(ルカの福音書18:13)

第二に、イエス・キリストの十字架の死が私のためであったことを信じ、受け入れることです。そしてイエス・キリストを通して私たちのいのちの源である神に帰ることです。そこから新しい人生が始まります。罪の延長の人生ではなく、キリストのいのちによって生かされた人生です。イエス様は、「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさるためです。」と語られましたが、このイエス・キリストの招きに答えてください。

「わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪を霞のように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」(イザヤ書44:22)

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